「製造業に強い国」という日本人のアイデンティティを取り戻したい。 「製造業に強い国」という日本人のアイデンティティを取り戻したい。

Vol.05

「製造業に強い国」という日本人のアイデンティティを取り戻したい。

アーサー・D・リトル(ジャパン)株式会社

マネージャー入口 穂高氏

1886年、世界初の経営コンサルティングファームとして設立されたADL(アーサー・D・リトル)は経営と技術をつなぐ成長戦略立案や、顧客と共にあるコンサルティングスタイルで知られる。ソニーから転職した入口穂高氏がADLを選んだのは、日本の製造業が競争力を取り戻すための支援を行うのに最適なファームであったからという。
一企業の成長にとどまらず、製造業全体の支援をしたい
入江
まず、ADL(アーサー・D・リトル)に入社する前のキャリアを教えて頂けますか?
入口
私は大学院で金属工学を専攻し基礎研究をしておったのですが、研究成果が世の中の商品に活用されるまで10年以上の時間が必要でした。そのため、就職する際には、「自身の取り組む成果・価値がより早く商品になる職種に就きたい」という思いからソニーに入社しました。ソニーでは世界初のHD対応ハードディスクレコーダー用のソフトウェア開発エンジニアとして4年半従事した後、自ら希望して海外マーケティング部門に異動しました。
入江
だいぶ畑が異なりますが、なぜ自分から異動を希望されたのですか。
入口
事業全体を俯瞰し、理解したいとの思いからです。新卒でエンジニア職に就くと、職務上事業全体を見ることが非常に難しく、担当する局所的な開発部位の仕事に留まってしまいます。しかし、お客様の生の反応や事業としての収益性などを踏まえなくてはより価値の高い商品は作れないという危機意識から、事業視点で商品の収益・顧客の顔を見る為に販売の現場に移ろうと考えました。2004年に映像関連機器のマーケティング部門に異動した後、すぐに欧州のマーケティング統括拠点(ロンドン)に赴任しました。現地では20ほどある欧州の販売会社と連携しながら映像関連機器の営業促進の業務に従事しました。具体的な内容としては、当時HD DVDとの規格戦争が起こっていたブルーレイディスク関連機器や、画期的な商品であったロケーションフリーの欧州事業立ち上げ等です。7年半在籍したソニーでは組織は異なっていても、常に一貫してイノベーティブな商品をつくる、あるいは世の中に送り出して市場をつくるという仕事に携わっておりました。
入江
コンサルティングファームへの転職を考えたきっかけは何ですか。
入口
もともと学生時代からコンサルティングという仕事には興味を持っており就職活動の際にも他ファームのインターンを受けたことがあります。最終的には「ものづくりを自分で経験したい」という思いからソニーを選択しました。しかし、ロンドン赴任時に、韓国競合勢が急速にソニーや他の日本メーカーから市場シェアを奪っていく事態を目の当たりにしたことが再び、コンサルティングの道を見直したきっかけです。日本の民生向けエレクトロニクス産業はマーケティング・販売力等の単一機能ではなく、韓国企業と比べ原点にある商品開発力を梃子とした企業そのものの競争力を失っていることが一番の問題であると感じたのです。そのような状況の中で、(当時は今ほどエレクトロニクス産業の業績は悪化していませんでしたが、)「一企業の成長だけではなく日本の製造業全体をもう一度、世界に羽ばたけるようにしたい」・「とくにエレクトロニクス産業を外から復活させたいという思い」が強くなり、コンサルティングファームへの転職を決意しました。
その思いの背景には1979年から1989年の10年間の海外生活から来ております。当時、日本の2大産業であった自動車・エレクトロニクスの海外での躍進(収益成長)は、海外現地に住んでいる日本人の自己アイデンティティの確立に少なからず貢献していたと思われます。稚拙な表現になりますが、「日本ってすごいものをつくる国なんだ」と。当時は「先進的なモノづくりの国の人」というアイデンティティが非常に誇りに思え、海外の人々からもそう認識されておりました。最近はアニメを含むエンターテインメント分野での活躍もありますが、モノづくりは日本という国のアイデンティティの根本にあると思います。そのアイデンティティをもう一度、取り戻したいのです。付加価値は「製造機能」に落ちないかもしれません。しかし、グローバルな時代だからこそ、イノベーティブなものを創出し続ける日本企業こそが日本人のアイデンティティとして重要だと思っています。

※インタビュー内容、企業情報等はすべて取材当時のものです。

この企業を指名して転職支援を申し込む この企業を指名して転職支援を申し込む
interview backnumber
バックナンバーを選択してください