米国へのMBA留学が転機に。 「クロスボーダーでテクノロジーを使って 新しいものを生み出す」ために、エムスリーへ。 米国へのMBA留学が転機に。 「クロスボーダーでテクノロジーを使って 新しいものを生み出す」ために、エムスリーへ。

vol.35

米国へのMBA留学が転機に。 「クロスボーダーでテクノロジーを使って 新しいものを生み出す」ために、エムスリーへ。

エムスリー株式会社

事業開発グループ 海外事業開発担当マネジャー 兼 Director, Health Impetus Private Limited.金色 一賢氏

ITを活用して医療の世界を変革していくことをビジョンに掲げ、いまグローバルで急速に事業を拡大しているエムスリー。社会が注目するこのベンチャーに、マッキンゼーとJPモルガンを経て参画したのが金色氏だ。多彩な経歴を持つ金色氏が、なぜエムスリーに転職したのか、そして、エムスリーでのキャリアにどんな意義を感じているのか、お話をうかがった。
グローバルと関わって認識した、自らのキャリアのあり方。
入江
金色さんは新卒でマッキンゼーに入社されたとのことですが、なぜコンサルタントを最初のキャリアに選ばれたのですか。
金色
私は学生時代に航空宇宙工学を専攻し、大学4年から修士2年まで当時世界最小の10cm立方サイズの人工衛星を作って打ち上げるプロジェクトに関わっていました。テクノロジーで世の中に新しいものを自ら創り出すのは、私にとって大きな喜びでしたし、将来も航空宇宙の世界でそれを究めていきたいと考えていました。一方で、当時日本の宇宙業界はほとんど国家予算で成り立っていて、今後の国の財政のことも考えると、「自分達で作った人工衛星で民間のビジネスを展開したい、その方法論を学びたい」とも考えるようになりました。たまたま当時、小泉首相のもとで、政府の道路公団民営化の推進委員の1人としてマッキンゼー出身の川本裕子さんが辣腕を振るわれていて、民間の立場から社会の仕組みを変えようとする様にとてもインパクトを受けました。それでマッキンゼーに興味を抱き、実際に在籍していた先輩の話を聞いて、コンサルタントとして宇宙開発のビジネスをリードするのも面白そうだとして、志したのです。
入江
マッキンゼーではどのよう経験を重ねられたのですか。また、いまのキャリアの通じるような何か契機があったのでしょうか。
金色
入社後、私は主にオペレーション改善のプロジェクトで成果をあげていたのですが、3年目、米国からオペレーション改善に通じた人材のオファーがあり、運よく私に白羽の矢が立ってシカゴにトランスファーすることになりました。1年ほど現地でのプロジェクトを経験して帰国しましたが、そこでグローバルと協業することの難しさを実感し、自分をさらに高めるために米国に留学してMBAを取得しようと決意。6年目にいったんマッキンゼーを離れてUCバークレーのビジネススクールに入学したのです。
入江
MBA取得のための留学が、金色さんにとって大きな転機になったのでしょうか。
金色
ええ。個人的にグローバルでの交渉力やチームワーク、リーダーシップをもっと磨きたいと考えていましたので、敢えて多様な外国人とチームを組んでアウトプットを出す授業を中心に選びました。そこで中国人とインド人と一緒にアフリカで3週間のプロジェクトを推進する機会があり、既に華僑・印僑がアフリカの経済発展に深く入り込んでいる姿を目の当たりにしながら、彼らと毎晩寝食を共にして語り合ううちに、「これからはこの2国の時代だ」と痛感したんですね。アジアとシリコンバレーの間にある日本は、ひょっとしたら要らない国になってしまうかもしれないという危機感を抱いて、その中で何をすべきかと考えると、やはり「日本と海外を繋ぎ、クロスボーダーでテクノロジーを駆使して何か新しいものを生みだしていく」ことが必要ではないかと。
入江
その後、金色さんはJPモルガンに移られていますが、これはどのような経緯だったのでしょうか。
金色
授業やイベント等で様々なシリコンバレー現地企業の話を聞いているうちに、私の場合、何か新しいものを生み出していくためには、まずファイナンスやM&Aを知らなければと実感したんです。留学して気づいた日本とアメリカの違いのひとつが、企業におけるCFOの力。コンサルタント時代、当時日本の製造業やテクノロジー業界では営業利益率5%程度でも良しとされ、それ以上の利益向上が難しいケースを色々とみてきた一方、アメリカにはAppleやIBMをはじめ営業利益率が20%を超えている企業がたくさんある。それはCFOが現場に意思決定させないからで、だから、たとえ黒字でもノン・コアの部門を売却し強みに注力するための買収を繰り返す、といったドラスティックな経営をリードできる。そこでファイナンスやM&Aを学ぼうと、JPモルガンのインターンに参加したのですが、当時はリーマンショック後の不況の真っただ中で、多くの投資銀行がリストラを図っているなか、JPモルガンは他からエース級の人材を引き抜いて組織を強化していた。そのダイナミズムに惹かれて、そのままJPモルガンに転職しようと決めたのです。
入江
JPモルガンではどのような業務を経験されたのでしょう。
金色
JPモルガンには3年半ほど在籍し、一般産業分野やテレコム・メディア・テクノロジー業界を対象に、投資銀行業務を行っていました。最初の1年で、新卒のプロパー社員が3年ほどかけて身につける知識やスキルを概ね身につける必要があったのですが、学ぶこともそうですが、学びの機会・経験を得ることでも苦労しました。その後、幸運にも2年目からグローバル・国内双方で大型資金調達やM&A案件に複数携わることができ、様々な案件ストラクチャーにおける実務経験を一通り積むことができました。しかし、やってみて実感したのは、やはり私はどうしても金融の人にはなりきれなかった。コンサルタントとインベストメントバンカーはまったく仕事の質が違うんです。例えば、コンサルタントというのは、ファクトとロジックで編み出したアイデアを買ってもらう仕事。ですから、リスクをとってまだ誰も言っていない新しいアイデアを出すことに価値がある。一方で投資銀行というのは、ディールを成立させて手数料が取れないと収益にならない。ですから、提案時にリスクのある独自のアイデアを盛り込もうとすると、社内で否定される。弁護士や会計士などによってオーソライズされた意見を集約して顧客と自社の双方のリスクを可能な限り減らすのが仕事であり、それはそれで面白い経験ではありましたが、最後まで結局馴染めませんでした。金融が根っから性に合っていそうな方々が周りに一杯いて切磋琢磨している中、この世界で一生食べていくのは無理だと感じ、必要なスキルを身につけて『一通りやりきった』と言えた所で転職しようと思っていました。

※インタビュー内容、企業情報等はすべて取材当時のものです。

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